げんてんパパのblog

金は使わず知恵を使うよ!小学生の子供の教育にフルコミットしている新米パパのブログです。

英才教育の嘘

さて、子供の教育を考える際に、いろいろな教育方法や学校の選び方があります。私も当然ながらあれこれ氾濫する情報の中で最初に悩んだことは「本当に自分の子供にとって正しい教育って、何だろう」ということです。

 

恐らく一つの正解はなく、自分の状況に照らして一番良いものを選ぶ必要があるとは思いますが、一般的に存在するいわゆる「魅力的なオプション」の中から自分が選んだ道とその理由を説明したいと思います。

 

1つ目はいわゆる「0歳児からの教育」です。なんかさまざまな学説があり、やっておかないと損をするのでは??と思わされますが、いわゆる幼児の段階から英才教育をするサービス(七田式とかモンテッソーリ教育とか)は基本意味ないと思いました。

 

その答えは簡単で、効果効能が検証されていないから。

例えば「東大進学者の〇〇%」とかいうデータがあれば分かりやすいのですが、そんな調査はみたことがなく、またその幼児英才教育だけを切り取って効果を測るのは事実上不可能だと思っております(そんなところにお金をかけられる両親は比較的裕福なので、他の教育にも投資するから)

 

七田式とか、フィギュアスケートの本田姉弟とかやっているのが有名ですが、うん。本田姉妹かあ・・・。別にプロスポーツ選手や芸能人にしたいと思わないし。

 

ではなぜ幼児教育がこんなにも魅力的なのでしょうか?それは単純に「頭いいー!天才!」と周りから言われやすい分かりやすい成果(フラッシュメモリーとか、国旗の記憶とか)を出しやすいせいかと思います。

 

子供は素直なので、どんな子供でも鍛えればある程度の芸当はできるようになるけど、それが一発芸で終わるのか、人生を通して助けになるスキルなのかは人によってバラバラかもしれません。

 

同様に「そろばん」と「公文式」もほぼ意味がないと考えています。単純計算だけ特化して早くなっても、高校数学にはあまり役に立ちそうにない、という理由と、社会に出てから「暗算が速いことを鼻にかける人間」は大体そもそもの学歴がイマイチで、かつ仕事ができない人が多いからです。(実話)計算はある一定の速度と精度が担保できれば充分かなー。

 

よって、いわゆる「天才を育てる」教育法は効果が薄いと考えたので、そこにお金を投資することはせず、別の方法を探してみようと思います。

 

「世に氾濫する『英才教育』は基本、詐欺」

東大生を生み出す家庭教育の共通項

小学校時代、某国立の大学の付属小学校だったのですが、今思うと人生史上、一番レベルの高い友達が周りにいたのがその時代だったかと思います。玉石混合ではありますが、小1のクラスのうち10人に1人くらいが東大、1人が医学部、1人がちょっと落ちて早慶クラスのレベル感でした。

 

その当時の情報で今でも鮮烈に覚えていることがあるのですが、同じクラスの東大合格者はなんと全員、「家に帰ってからお父さんが毎日勉強をみていた」そうなのです。

(ちなみに同じく東大卒の自分の父親に勉強見てもらった記憶はまるでないのですが)

 

ここで疑問なのはなぜ「お父さん」なのか。

 

これはお母さんが重要でない、もしくは勉強を見る必要がないということではなく「お父さんが勉強を見るとプラスの差が出やすい」ということだと思います。当時は昭和の時代なので、お父さんが教育にコミットしているということ自体が珍しく、子供に教えるリソースが単純に増えること、またお父さんが教育に参加することによって「家庭全体で勉強する」という雰囲気が生まれ、結果に結びつくのかと思っております。

 

また、私の小学校はエリート校だったので、お父さんも超絶エリート揃い。(弁護士とか医者とかザラだった)そんな彼らが本気になって家で教えてたらそれはそれはすごい教育になるんでしょうねー。

 

ひるがえって平成から令和の世の中、「お父さんが子供の勉強を見ている」というケースは増えているのでしょうか?じつは自分の周りを見えていると、教育の大切さは口にすれど、お父さんが実際に率先して教育をしている家庭ははぼないです。

 

皆さん、例学なく教育は重要だと思っているし、そこの投資にお金を惜しむことはしませんが、結局「金を払っての他人任せ」塾や家庭教師にお金を使ったり、レベルの高い学校にお受験をさせる家庭がほとんどのようですね。なので、子供の勉強を「たまに見るくらい」のお父さんが圧倒的に多い印象です。

 

ここが明確に違いを出すチャンスなのかも!

 

そもそもお父さんは家族でありずっと子供と一緒にいれるので、子供の都合に合わせて隙間時間を勉強時間に効率的に使うことができる。またお父さんの教育は基本お金がかからないので、時間さえとれれば費用対効果は最高。

 

日頃の仕事でいろいろ疲れてはおりますが、世のお父さんを代表してちょっと一念発起して頑張ってみます。ちなみに子供の教育をすることに関して自分自身はかなり自信を持っているのですが、その理由としては

① そもそも自分が高学歴(難関国立大学卒)なので、基本、勉強は得意

➁ 自分が結構教えるのがうまいほう(社会人になってから知りました)

③ 新しいものを作るのが好きなほう(特に有形でも無形でも、モノを作るのが好きです。)

④ PCけっこう得意なほう

➄ 東大・京大レベルの人間が周りに多く、彼らのレベル感や勉強法をよく知っている

の5つです。

 

というわけで、

『金を一切使わず』

『お父さんのアイデア勝負で』

『どこにも負けない最高の教育を受けさせてやるぜ!』

という私の無謀なチャレンジを日記形式で記録していきます。

 

目標は同年代の中でトップ5%の学力をつけさせること。イメージとしては高校三年生の時点で難関国立大(東大・京大)受験が視野にギリギリ入るレベル感(模試での確率50%くらい)です!

子供に教育をするということ

まずはここの定義から。なんで「子供に教育をしよう」と思っているかというと、それは単純に自分と妻がここまでの人生をかけて学んできたことを効率的に子供に伝えることができれば、子供の人生がちょっと楽になるかもという期待です。それは勉強でもいいし、スポーツでもいいし、何かの特技でもいい。教育はやはり親が子供に残せる無形、かつ最大の財産だと思うわけです。

 

ただ、そもそもおそらく親のこういった考えそのものが「押し付け」になってしまうんだろうなあとも思います。子供には子供の人生と人格があって、やりたいことは必ずしも親と一緒とは限らない。むしろ違って当たり前なので、色々とやらせてみて何がハマるのかなを見るべきなのかと。よく「子供ができたら絶対に○○をやらせたい」と言う親御さんがいますが、それは

自分がしたくてもできなかったりことをやらせる押し付け(ピアノとか)

自分がコンプレックスを持っていることをやらせる押し付け(英語とか)

なんとなく、ふわっと、カッコイイから

親がその道の第一人者で、同じ夢を子供に託したい

という4つにおおむね大別されるかと思います。

 

「ゴルフ」や「体操」、「ピアノ」や「フィギュア」をやらせる親のほとんどは親の熱意から始まるような気がしており、成功した選手のインタビューによると親が幼少時代からサポートしている人がほとんど。でも結局成功した一流選手になるのはほんの一握りなので、「英才教育をしたら成功するとは限らないけど成功するためには幼少からの教育があったほうがプラスになる」という非効率。各ジャンル一握りの成功者がいる裏で、親の夢を託されてそれに敗れ、傷つく子供は相当数いると思いますね・・。子供がその過程を楽しんでいてくれればいいのですが。

 

さて、残念ながら自分自身には子供にそこまでスポーツや特殊能力で生計を立ててほしいとは全く考えないので、とりあえず、自分自身が幼少期に得意だった「勉強」だけは子供にも得意になって欲しいと考えております。少なくとも「学校の勉強が分からなくて落ちこぼれ→学校に行きたくなくなる→友達がいなくなる」という負の連鎖や辛い経験だけはさせたくないと思うわけで。

 

「教育は、親が子に残せる最大の財産」

というわけで、とりあえず目指すところは勉強の分野で全国トップ5%のレベルぐらいになってくれればいいかな!

【プロローグ】子供が生まれました

少し昔の話となりますが、子供を授かりました。それまでキャリア一辺倒で生きてきた自分には、かなり大きな人生の変換点となりました。

 

というのも、私が新卒いらい戦場としていた場所はいわゆる外資系企業。自分で言うのもなんですが、かなり名の通った会社での数回の転職を経て、いわゆる「超高給」「高いやりがい」「超絶プレッシャー」が両立する環境で突っ走ってきたスーパービジネスマンです。

 

決して晩婚ではなかったのですが、長い不妊治療の末、40代でようやく第一子を授かるという幸運に恵まれたので、自分がこれから本当にやりたいことをじっくりと考えてみたところ、やはり『家族 > 仕事』という解になりました。

 

まあ、ビジネスの世界でやれることはかなりやり尽くした感があるので、仕事よりも生まれてきた子供と向き合って、これから成長していくお手伝いをすることが今一番やりたいことだと気が付いたいうことです。そこで、それを契機に引っ越しと転職もしました。

 

このブログは、私が生まれてきた娘に対しての教育や、自作の教材などの記録として始めようと思います。同じようにお子さんの教育に燃えている方、どうしようかと悩んでいる方の助けになれば幸いです。

 

しばらくは過去に遡っての記録となります。